恵みの福音(2021年8,9月) 通巻639号より

エリコの城壁
エリコの城壁

 「エリコ」はヨシュアによって率いられたイスラエルの民が、最初に占領した約束の地です。ガースタングをはじめ多くの考古学者は、この地の城壁の跡の発掘に挑戦しました。ここで発見された城壁は、調査によると石器時代にさかのぼるものであるとされ、現在エリコは世界最古の町とされています。

気がつかないままにしないために

マタイの福音書 7章3-5節

 せっかくおしゃれなメガネをかけているにもかかわらず、メガネを外してよく見ると、レンズに小さなほこりがついて、汚れていることに気づくことがあります。主イエスは、「あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか」と言われました。私たちは、他人の罪や欠点にはよく気づき、さばいているにもかかわらず、自分の中にある罪や欠点には気づかないことが多くあるのです。
 主イエスは、ほかの人を見下し、自分は正しいと信じている人々に、パリサイ人と取税人の宮での祈りを教えてくださいました。パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをしました。「神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。私は週に2度断食し、自分が得ているすべてのものから、10分の1を献げております」。一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて祈りました。「神様、罪人の私をあわれんでください」と。パリサイ人は自信満々でしたが、義と認められて家に帰ったのは、パリサイ人ではなく、神の前にへりくだっていた取税人だったというのです(ルカ18:10~14)。
 私たちが自分のあり方には気づかないで、すぐに相手をさばくのは、高ぶっているからです。自分の罪に気づくのに遅いのは、「心は脂肪のように鈍感」(詩篇119:70)だからです。私たちは毎日の生活の中で、知らず知らずのうちに心の中に、罪やほこりをたくさん蓄え、自分自身の姿が見えなくなってしまうことがあるのです。ですから、みことばと聖霊によって、気づかせていただくことが大切です。みことばを読み、自分の罪や汚れに気づかされたなら、罪の告白をし、聖霊によってきよめられ続ける者とさせていただきましょう。

(近藤信二師)