1973年の夏、教師(教職者)研修会と教師夫人会が初の同時開催。日中は教師たちが学び、夜に夫人たちが学ぶというスタイルでした。
夏休み中の子どもたちを含む学びは、その後もしばらく続けられ、料理講習、レクリエーション、教会学校など、充実した集いでした。
恵みの福音が宣べ伝え続けられるために
ローマ人への手紙 10章14~15節
月日が経つのは本当に早いものです。私が「恵みの福音」の執筆協力者となってから35年にもなっています。そして今月号でその役割を卒業することになりました。この働きを通して、ローア教会の皆さまとのお交わりが与えられたことは大きな感謝であり、私の伝道者としての歩みの中での大きな財産となっています。
日本福音キリスト教会連合が発足して間もなく、私は機関紙の発行の役割を担うことになり、「JECAフォーラム」第60号までの編集責任を持たせていただきました。その中で最も記憶に残っている特集の一つは、「東洋ローア・キリスト伝道教会」の執筆です。記念誌の年表をもとに、初期の伝道を担ってくださった梅﨑勲先生などから取材をし、まとめたローア教会の歴史は、これを読んだ人々の心の中に大きな感動をもたらしました。
東洋ローア・キリスト伝道教会の宣教の歴史は、神の恵みのすばらしさを思い起こさせてくれます。神戸の聾唖学校に通い、日本語と手話を学び、学生たちを自宅に招いて福音を伝えたコリエル母娘宣教師の宣教のスピリットは、マケドニア人の懇願を聞いてトロアスから船出してマケドニアに渡ったパウロのようです。草創期の伝道者たちの献身は、迷った1匹の羊を探し求める羊飼いのようです。当時、自動車免許を取得できなかったために、何十キロものでこぼこ道を自転車で走り回り、ろう者を探し歩いた伝道者の姿を思い浮かべるだけで私は心が熱くなります。
「聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか」のみことばのチャレンジを受け止めて、これまで福音は伝え続けられて来ました。これからも福音宣教が続けられるために、ろう者による手話による福音宣教が必要とされているのです。
(岩松康宣師)