恵みの福音(2024年5月) 通巻669号より

上御料の一本桜(富良野)
上御料の一本桜(富良野)

 道道985号線沿いの私有地の農地にぽつんと一本、蝦夷山桜が咲いています。雪が残る富良野西岳を背景に、素朴ながら美しい姿。まるで、モーセが召命された時の柴の茂みのように感じました(出エジプト3:1-6)。神さまが私たちを呼んでくださるような存在感を示す一本桜です。

一人のときを大切に

マタイの福音書 14章23節

 「孤独」には二つの側面があります。悪い意味での孤独は、人と心が通じ合わないときに感じる孤独、つまり仲違いや仲間はずれなどが原因です。一方、良い意味での孤独は、一人になり静かに自分を取り戻し、本当の自分を見つめることができるものです。
 今の時代はスマートフォンなどで友人、知人に直接会わなくてもメール、チャットなどで孤独を紛らわせることができます。ある調査によるとスマートフォンを持っていない人は0.9%で99.1%は持っていることになります。しかもスマートフォン依存者(10代~50代)が80~86%もいるということです。多くの人は孤独や寂しさを紛らわすため、良い意味での一人の時間を持たず、ますます孤独になっており、本当の自分を取り戻すことをしていないのです。
 イエスは群衆に5つのパンと2匹の魚を配られた後に、群衆を解散させ祈るために一人で山に登られ、夕方になっても一人でそこにおられました。イエスは父なる神と祈るために、一人になる時間を大切に持ちました。夕方だけでなく朝早くまだ暗いうちに、また一日のうち必要なときに、人々から退いて祈りのときを持ちました。
 私たちに最も大切なことは、神と私(一人)のときを過ごすこと、最高の孤独のときを持つことです。なぜなら、神様は私たちの心の状態を深く知り尽くしておられるからです。今の時代だからこそ神とのときを大切にすることにより、私たちは悪い意味での孤独に陥ってしまう危険から守られるのです。「私のたましいは黙って ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る」(詩篇62:1)。

(竹内つづみ師)