恵みの福音(2023年7月) 通巻660号より

フィリピン宣教団のポストカード
フィリピン宣教団のポストカード

 フィリピンのマニラでろうあ者伝道に従事した4人を紹介するポストカード。中央前から時計回りにエダ・M(マブル)・コリエル師(母)、安森ハル姉、A(エミ)・エダ・コリエル師(娘)、山内佐代子姉。
 連絡先の変更は黒のタイプで打ち直し、作ったカードを大切に使ったのでしょう。

見よ! 神の子羊

ヨハネの福音書 1章35-39節

 「見よ、神の子羊」は、バプテスマのヨハネが二人の弟子アンデレとヨハネにイエスを指して紹介した言葉です。これを機に二人はイエスについて行きますが、イエスは「あなたがたは何を求めているのですか」と言われます。この二人の弟子は「どこにお泊まりですか」と尋ねました。それはただイエスの宿泊場所を知りたいのではなく、イエスがおられるところに自分たちもとどまりたいという気持ちの表れです。だからこそイエスの公生涯のすべてを見ることが出来たし歩みを共にすることも出来たのです。この後、ペテロ、ピリポ、ナタナエルへと話が伝わって集まり、イエスの公生涯が始まったとヨハネの福音書は記しています。
 一方、ヨハネの福音書19章5節で、ピラトが祭司長たちの前に茨の冠と紫色の衣を着けたイエスを連れ出し「見よ、この人だ」と言ったとき、祭司長たちは「十字架につけろ」と叫んだのです。同じイエスを見ながら弟子たちとユダヤ人たちの反応はなぜこんなに違ったのでしょう。それは、イエスと共にいたいという気持ちの有無ではないかと思います。その後、復活されたイエスは弟子たちには現れたのですが、祭司長たちやユダヤ人たちには現れることはなかったのです。信仰の有無が明確になった出来事でした。
 「来なさい。そうすればわかります」(1:39)と語られたイエスにニコデモ(3章)やサマリアの女(4章)も従ったのでしょう。そして「わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります」(ヨハネ15:4)と言われました。私たちも救い主イエス・キリストに従い、主にとどまる人たちと共に歩もうではありませんか。

(村上幹夫師)