ちょっと珍しい写真があったので、紹介します。「アイ・ラブ・ユー」のサインはお馴染みですが、こちらは両手でピースサインのコリエル師です。右側に見えるのはバスのようですが、いつどこで撮られたものか、分かりません。梅﨑師が遺した写真の中にありました。
主とともに生きる
テサロニケ人への手紙 5章10節
人は他の人と結び合い、ふれ合い、助け合い、いたわり合って共に生きることが必要だと誰もが知っています。夫婦や仲間の関係も同様ですが、実際はこの関係を永続するのは困難です。
一方でキリスト者には神、すなわち御父、御子、御霊とともに生きるという永遠で限りない祝福が与えられています。キリストが生まれたとき神は「インマヌエル」言い換えると「私たちとともにおられる」(マタイ1:23)方と示されました。また主を愛する者は「わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます」(ヨハネ14:23)とイエスは言われました。主とともに生きることは大きな喜びです。パウロは、「主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目を覚ましていても眠っていても、主とともに生きるようになるため」(Ⅰテサロニケ5:10)と考えました。エノクは「神とともに歩んだ」(創世5:22-24)と証しされ、ヨシュアは臆病な性格でしたが、ともにいるという主のことばに励まされてイスラエルの民を約束の地に導きました(ヨシュア1:5)。ダビデは日々さまざまな敵に向かっても常に勝利できたのは、主がともにおられるという信仰があったからです(Ⅰサムエル17:37)。弱いペテロも死ぬまで主を宣べ伝え(使徒4:13)、パウロはどこにいても主に励まされて大胆に神のことばを語り続け(使徒18:9-11)、結果教会は祝福されました。
私たちも福音を恥と思わず宣べ伝え、また地の塩、世の光となりましょう。主が私たちとともにいてくださるのですから逆境や苦難にもくじけず、主を仰ぎながら歩みましょう。決して自分の力に頼ってはいけません。常に主がともにいてくださることを覚えて結果を主にゆだねて励みましょう。
「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」(マタイ28:20)。
(江城保雄師)