コリエル師の離日でしばらく休校だった聖書学院が、1年コースで1970年に再開校。1年後の1971年3月に第6回聖書学院卒業式が行われ、9名が巣立ちました。
卒業式の記念説教は舟喜拓生師で、通訳は小野寺義尚師。後列に並ぶ卒業生の中には、角田愛治師の姿もあります。
隠れた祈り(神との個人的な交わり)
マタイの福音書 6章6節
数年前公開された映画「祈りのちから」は、夫と不仲であったエリザベスが、老婦人クララの勧めで、隠れた祈り場での祈りを始め、やがて夫もイエスを信じ、家族の絆を取り戻すという物語です。
人は誰でも、生きる限り、人生の中で行き詰まることがあります。失敗し、誤解され、助けてくれる人もいなくて、どうすることもできなくなった時、自然と口から出る言葉は「神様、助けてください」という祈りです。映画のように、祈ることはいつでも、どこでも、誰にでもできるのです。そして、祈りは最終の最強の力なのです。
試験で合格を目指し、自分の部屋で勉強をする人もいれば、喫茶店で読書する人もいます。それが集中できる場所だからです。あなたは、神との個人的な交わりのために、奥まった部屋、落ち着ける場所が確保できているでしょうか。自分にとっての「隠れた祈りの場所」を確保し、祈りを続けているなら、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます(マタイ6:5)。
イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈られ(マルコ1:35)、さらに群衆を解散させてから、祈るために一人で山に登られました(マタイ14:23)。イエスは祈るために一人で隠れた場所で、父なる神との個人的な祈りの時を持ち、活動のための原動力を得たのです。
私たちも、神との交わりのための「隠れる場所」の確保について悩むかも知れませんが、イエスのように、一人で寂しい場所に行って祈ることができます。寝る前や、起きてすぐの一人だけの時間を用いることもできます。あなたにとっての隠れた場所とはどこでしょうか。自分の部屋、風呂、押し入れの中、トイレの中、自動車、自然の山の中、森の中など自分にとっての「隠れた場所」を探し、祈りの時間を確保し、祈り続けようではありませんか。
(橋本覚師)