恵みの福音(2022年5月) 通巻647号より

建築中のカマボコハウス
建築中のカマボコハウス

 カマボコハウス(カマボコ兵舎)のルーツは米軍から払い下げられた組み立て式の建物です。戦後の日本で占領軍の住宅などに使うため、大量に持ち込まれていました。
 当時の教会には、カマボコハウスで造られたものも多く、学校、病院、役所などにも使われましたが、今ではほとんど見かけなくなりました。

「恵みの時代」に生きている私たちの使命

ヨハネの福音書 8章1-11節

 私たちは、キリストを信じるだけで救われる「恵みの時代」に生きています。どのようにしてこの神の恵みがすべての人間に与えられたかを深く考えてみましょう。
 姦淫の場で捕らえられた女が、律法学者やパリサイ人によってイエスのもとに連れてこられ、こういう女は「石打ちにするよう」モーセの律法は命じているが、あなたは何と言われるのかと尋ねます。もし「死刑」だと言えば、ローマ帝国の権威に立ち向かう者として告発し、「赦しの宣言」をすれば、モーセの律法に反する者として告発する理由を得ようとイエスを試したのです。
 しかし、問い続ける彼らの前で「イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた」(5節)のです。そして身を起こして「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい」と言われ、「再び身をかがめて、地面に何かを書き続けられた」(8節)とあります。すると年長者たちから始まり、一人、また一人と去って女と共にイエスだけが残されました。何を書いていたのか気になるところですが、多分彼らに自分自身の罪を気づかせる何かだったと思います。つまり、罪のない者は一人もいなかったのです。
 「義人はいない。一人もいない」(ローマ3:10)とあります。人をさばける罪のない人など、だれ一人いません。ただ一人、罪のないイエスだけが、さばくことがおできになります。しかし、そのイエスは、私たちのために身代わりとして十字架にかかって死んで、よみがえられたお方です。私たちは今、キリストの十字架の死から再臨までの「恵みの時代」(Ⅱコリント6:1-2)に生きています。「『キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた』ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。」(Ⅰテモテ1:15)と記したパウロに倣って、神の大いなる恵みを宣べ伝える者となりましょう。

(田中久祥師)