恵みの福音(2021年12月) 通巻642号より

マサダ
マサダ

 死海から400メートルの高さにあるマサダは難攻不落の要塞として知られていました。ユダヤ戦争の際、ローマ軍は、3年半かけて崖の南側に道路を作りマサダを攻め落としました。この道路を造るために用いられたのがユダヤ人捕虜たちです。今では観光名所として知られ、2001年に世界遺産登録されました。

主はいつもともにいてくださる――主の臨在の恵み――

マタイの福音書 28章20節

 マタイはイエスの誕生において、「『見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』それは、訳すと『神が私たちとともにおられる』という意味である」(マタイ1:23)と記し、イエスの昇天の際には、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」という、主の力強い約束を記し、福音書全体を「神がともにおられる」というテーマで貫いています。
 復活したイエスに会うためにガリラヤに行った弟子たちは、主の公生涯の間そばにいて、イエスの教え、行い、たとえ話の解き明かしなどを聞いた人たちです。イエスの宣教命令を受け、弟子たちは不安や恐れに満ちていたかも知れません。しかし、十字架で死なれたイエスは、復活されて今も生きておられ、私たちとともにおられるというのです。
 肉体的にも精神的にも極限状態にあり、自分を見失いそうなとき、信仰を持ってはいても、主の臨在を実感できないときがあるかも知れません。しかし、聖霊は決して離れることのないイエスの臨在です(ヨハネ14:26)。主の臨在という強い励ましの恵みを受けて、主に心を向け、みことばを暗唱し、讃美をするならば、主を近くに感じることができるのです。特に、「いつも」という言葉がずっと私の心に響いています。ある牧師は、不治の病で心が乱れていたときに、「いつもあなたとともにいます」という深い主の愛の言葉を通して、イエス・キリストの臨在が示され、強い確信と平安が与えられ、召されるまで主に仕えることができたというのです。
 主の臨在こそ私たちの信仰の鍵です。私たちは御国を受け継ぐ者であり、いつも主がともにおられるという励ましを受けて、世界のすみずみまで福音を伝え、キリストの教会を建て上げる奉仕にあずかり、世の終わりまで主に仕え続けましょう。

(椿野僚子師)