クムランの洞窟は、死海の西北端から1キロほど離れた場所にあります。1947年、ベドウィンの少年がこの洞窟の中で発見したのが壺の中に収めされていたイザヤ書の写本でした。ほぼ完全な形で残っていたために世紀の大発見となり、「死海写本」として現在でも聖書写本の貴重な研究資料となっています。
苦難の中での主の慰め
コリント人への手紙 第二 1章4-5節
私たちの信仰生活の中で、「試練」や「苦難」は避けて通ることはできないものです。パウロも宣教活動の中で多くの苦しみを経験しましたが、リステラでユダヤ人から石打ちにあった時、ここで信仰を持った人々に信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」と励ましました(使徒14:22)。コリントの人々に対しては、「私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです」と語り、キリストの苦難にあったとき、神からの慰めがあることを教え、苦難に対して前向きであるべきことを教えています。
イエスは人となられ、私たちのために多くの苦難を受け、その足跡に従うように模範を残されたのです(Ⅰペテロ2:21)。世を去るにあたって弟子たちに、「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました」と語られました。ですから、苦しみにあったとしてもくじけることなく、神からの励ましと慰めを期待しましょう。「もしキリストの名のためにののしられるなら、あなたがたは幸いです。栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです」(Ⅰペテロ4:14)と、いつも神の御霊が支えてくださるという約束も与えられています。さらに、「まことに主は ご自分の民を見放さず ご自分のゆずりの民を お見捨てになりません」(詩篇94:14)という約束もあるのです。
ですから苦難の中にあって、キリストが私たちを愛されたように、私たちも互いに愛し合いましょう。そして、多くの苦しみの中にいる人たちに励ましと慰めを与えることができるように進もうではありませんか(Ⅱテサロニケ2:16-17)。私たちは、神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にいる人たちを慰めることができるからです。
(江城保雄師)