アラビア語で「ジェベル・ムーサ(モーセの山)と呼ばれるこの山は、モーセが十戒を授かったシナイ山とされています。標高は2285メートル。山頂からの朝日を見るために、登山者は夜中に麓のホテルを出発し、なだらかな登山道を登ります。最後の30分は石段を登り、感動的な山頂からの景色を目撃します。
すべての人のために願い、祈り、とりなし
テモテへの手紙第一 2章1-3節
コロナウイルス感染予防対策のために、日本だけでなく世界中が、あらゆる知恵を尽くしてコロナ禍収束のために悪戦苦闘をしています。特に医療関係者、政府関係者は対応に追われていますが、まだ出口が見えない状況です。
このような社会状況の中で、個人での感染防止対策だけではなく、私たちはクリスチャンとして神から委ねられていることがあります。それは「とりなしの祈り」です。パウロは自らが捕らえられ、牢獄の中にいるにもかかわらず、テモテに対して「そこで、私は何よりもまず勧めます。すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい」(Ⅰテモテ2:1)と命じています。またペテロも、「あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です」(Ⅰペテロ2:9)と教えています。この2番目の「王である祭司」は、人々のためにとりなす役割が与えられているのです。
幸いにも、私たちはローア教会から発行された「教会員手帳」を持っています。この中にある祈りの課題に従って「とりなしの祈り」をささげるならば、祭司としての役割をわずかでも果たすことができるでしょう。そして、自分のことよりも他の人のために祈る時間を多くとるならば、神のみこころにかなうことができるのです。今日の厳しいコロナ禍の中で、政府のために、感染防止活動を担っている関係者のために、コロナ禍で苦しんでいる方々のために祈ることは主のみこころです。
主イエスは、「良いサマリア人」のたとえを通して「あなたも行って、同じようにしなさい」(ルカ10:37)と命じられました。追いはぎに遭った旅人に無関心で、関わりを持たなかった祭司やレビ人のようではなく、良き隣人として、社会と関わりを持ち、「とりなしの祈り」を続けていく者になりましょう。
(砂川昇一師)