美瑛の丘を360度見渡すことができる展望公園から、東側の景色です。撮影したのは5月上旬ですが、真っ青な空、白銀の十勝岳連峰、そして広い畑にポツンと立つ赤い屋根の家が、まるで絵本の世界のようです。
西側の景色は夕焼けの撮影スポットとして人気で、多くのカメラマンが集まります。
私たちの神の宮を思うこと
コリント人への手紙第一 3章16節
家族と公園でキャンプをする。テントを張り、野外での夕食を準備。自宅を離れ、新鮮な空気が吹き込むテントの中、家族皆で満天の星の輝きを眺めて楽しむ。テントは、厚い布で防水や通気性にも優れ、小さな窓もある。しかし、そのテントもやがて古くなりボロボロになります。それと同じように私たちの人生もやがて来る栄光の御国に迎えられるときが来ます。
旧約時代、神はイスラエルの民との交わりの場所として、「幕屋」の造営と礼拝を命じられました(出エジプト25:8-9)。しかし、イエス・キリストが新しい契約「まことの神殿」となられた(ヨハネ2:18-22)ので、旧約時代の神殿礼拝は終わりました。キリストを通して、神との交わり(礼拝)ができるようになったのです。
「幕屋」は言い換えると「神殿」「神の宮」です。パウロは「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか」(Ⅰコリント3:16)と教えています。見える神の宮(神殿)でなく、見えない聖なる神の宮をクリスチャンは神から頂きました。そして、聖霊の宮を宿す者たちが集って礼拝をささげる場が教会です。そこでは聖霊のいのちが私たちのうちに生き生きと働いて下さいます。
神の御霊は、永遠の御国に導くための「保証」(Ⅱコリント1:22)です。古くなったテントは、新しい物に買い替えなければなりませんが、聖霊の宮は、永遠の住まいで朽ちることはありません。主にある私たちは、御霊の働きに信頼して、キリストの栄光を現していきましょう。
(渡部清志師)