恵みの福音(2023年10月) 通巻662号より

電報で理事会変更の連絡
電報で理事会変更の連絡

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 本部のFAX導入は1987年6月頃。それまで急ぎの連絡は電報も使われていたようです。内容は理事会の日程が9日~12日に延期されること、午後5時坂戸駅に集合すること。漢字は数字だけで字数により金額が決まるので、「午前=ゼ」「午後=ゴ」など、短く表す工夫をしています。

わたしは渇く

ヨハネの福音書 19章28節

 毎年梅雨明けの7~8月にかけて本格的に暑くなり、近年は記録的猛暑を更新しています。肉体の渇きには水分が必要です。イエスも人として喉の渇きがありました。それは旅の疲れで井戸のそばに座り、水を汲みに来たサマリアの女に「わたしに水を飲ませてください」(ヨハネ4:7)と頼んだときです。しかし、本当のねらいは「水」をきっかけに、彼女の心が二度と渇くことのない「生ける水」であるキリストに信頼するよう導くことでした。
 また人としてのイエスは多くの苦しみを受けた後、十字架につけられ肉体的苦痛の中で叫びました。「わたしは渇く」(ヨハネ19:28)。犯罪人は死刑決定後、鞭打たれ重い大きな木の十字架をゴルゴタまで背負って歩き、そこで大きな釘を手に打たれて十字架にかけられるのが一般的でした。イエスも他の犯罪者と同様に激しい渇きと苦痛を覚えて苦しまれたのです。
 「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです」(Ⅱコリント5:21)。事実、イエスは十字架上で、罪の贖いのすべてを完了してくださったのです。
 私たちが神の前に罪人であることに気づくとき「義に飢え渇き」(マタイ5:6)、神との正しい関係に満ち足りるようになります。最近はインターネット情報が溢れ便利なようですが、人々の心は拠り所を失い心は渇いていると言います。しかし、イエスの贖いによって罪が赦されたことを知るなら渇きは癒やされます。神はこの真理を知るようになることを望んでおられます(Ⅰテモテ2:4)。

(田中久祥師)